アメリカ合州国における大学学部教育 - 教養教育と専門科目


中身

  1. はじめに
  2. 理念と概観
  3. 教養教育と専門教育以外の科目
  4. 教養教育と専門教育のバランス
  5. あとがき


はじめに

アメリカ合州国 (以下アメリカ) の大学教育は世界的に評判が良い. 残念ながら Harvard, MIT, Princeton 大学に同等レベルの学部教育が受けられる と世界的に評価されている大学は日本にはないと思われる. この文ではアメリカの大学の学部カリキュラムの構成について考察する. 特に,いわゆる「文科系学部」における教養教育と専門教育のバランス, 教養教育の構成を特に分析する. ここでいうアメリカの大学とは,Ivy League を主とする有名私立大学, University of California に代表されるレベルの高い州立大学, そしていくつかの著名な Liberal Arts Colleges をさす.

たとえアメリカにおける大学の学部教育が優れているとしても, それはカリキュラム必ずしも帰着されるものではない. 学生,教員の積極性と質,また大学に対する社会的な期待と要求といった面にもおおいに依存する. この小文の目的はどちらが優れているか,あるいはどこが優れているかを論ずることにはない. アメリカのカリキュラムがどのような理念の下でいかに構成されているかを理解することにある. それを理解することは日本における学部教育を考えるにおいて学ぶべき点が多いと思う. 背後にある理由を知らずに模倣するのは無意味であるし,また,理由があれば大きく異なるカリキュラムを組むことも妥当であろう.


理念および概観

アメリカの大学の学部教育も日本のそれと大枠においては類似している. 教養教育科目と専門科目に大きく分けられる. 大学教育は幅と深さの両方を兼ね備えたものであらねばならないという基本的理念が背後にある. 幅の広い教養教育 (Core Curriculum) と専門教育 (Concentration) の両方が柱となっている.

教養教育と専門教育以外の科目

ここで教養教育と専門教育以外の科目について短くまとめる. これらの中には外国語,アメリカの歴史,憲法,作文法などが含まれる. アメリカではこれらの扱いは教養/専門教育科目の扱いとは異なる. むしろスキルとみなされているといって良いであろう.

外国語教育は表面的に見ると日本とアメリカの大学のカリキュラムの最も異なる点であろう. その一方,それに関する状況も大学に設置された科目の中で最も異なるといって良い. 日本では伝統的に二つの外国語の習得を義務づけてきた. 国際語とみなされる英語が母国語であるアメリカの大学と日本の大学の外国語教育を同列で論じることは難しいかもしれない.


教養教育と専門教育のバランス

日本の大学とアメリカの大学では履修しなくてはならない教養教育と専門教育のバランスが大分異なる. (ここではアメリカと比較するために, アメリカ同様に教養教育と語学は別個のものとして扱う.) 日本の大学は教養教育と専門教育の比率はおおむね 1:3 から 1:2 程度であるのに対し, アメリカでは 1:1 程度である. よって卒業に必要な教養教育科目の量はアメリカの方が大分多い.

また,アメリカの方が履修条件も一般に厳しい. 例えばいわゆる一流大学 (Princeton, Harvard, Yale, MIT, など) では,文科系学生は人文と社会科学はもちろん, 物理化学系の科目と生物系の科目の両方を履修する必要がある. また,Princeton, MIT 等は文科系学生に実験科目の履修を義務づけている. Core curriculum の条件にはその大学を卒業するには幅広い教養を得なければならない, という理念がはっきり反映されている. 例えば, Harvard では学問分野を大きく 11 に分け,11 分野のうち専攻分野から もっとも遠い 8 分野で最低 1 科目づつ履修する必要があるとしている. ここで言う「幅広い教養」とは当然ながら知識の羅列を意味するものではない. アメリカの大学で強調されているように, 様々な分野でどのような考え方を用いて学問が探求されているかを理解することが大事なのである.

日本では文科系学生に自然科学系の科目の履修を卒業条件としている場合にも, 物理化学系と生物系の両方から別個に履修する必要のある大学はほぼ無いのではないだろうか? また,理科系の学生に文科系科目の履修を卒業条件としていない大学もかなりある. 教養教育という意味ではアメリカに比べて大分乏しいと言わざるをえない.


あとがき

大学はそれぞれ個性を持つべきであり,どのようなカリキュラムが最良であるかはその大学ごとに異なるべきものである. 総合大学では幅広い教養教育としっかりとした専門教育の両方を卒業の条件とすべきである, と私は考えている. 創造性のある仕事,リーダーとしての様々な状況に対応できる判断能力, といった資質には教養と専門の両方が不可欠であると思うからである.

数字はあくまでもカリキュラムの一面しかとらえておらず,実際の内容 が充実しているかはそれだけからは判断できないのは当然である. しかし,カリキュラム内の科目のバランス, 量は大学や学部の理念を反映しているのも事実である. 大学や学部を選ぶ際, またカリキュラムについて考える際に少しなりとも参考になれば幸いである.


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Last modified: Wed Jul 2 17:51:57 JST 2003